頼朝杉とは │ 鎌倉幕府で知られる源頼朝の手植えとされる頼朝杉

頼朝杉とは

歴史をさかのぼることは、今における頼朝杉の価値を知ること。

樹齢800年以上におよぶ頼朝杉には、長い歴史と数多くの逸話があります。
なぜ、頼朝杉と呼ばれるのか?なぜ、頼朝杉を使った工芸品を作っているのか?
その理由をご紹介いたします。頼朝杉を知れば、頼朝杉の確かな価値を知っていただけるはずです。

頼朝杉

由来:源頼朝と智満寺住職の偶然の出会いから、「頼朝杉」は生まれました。

平安時代末期のある日、智満寺十代目住職・文覚上人は、許しを得ずに後白河法皇の御所の殿庭へ侵入し、荒廃していた神護寺の勧進文を読み上げました。このことが法皇の不興を買い、伊豆への流刑となりました。京から流れてきた文覚上人に、京のことを知りたいと訪ねてきたのが、源頼朝だったのです。

源頼朝もまた、平治の乱に敗れたことで伊豆に流刑になっていたのでした。その際、文覚上人は源頼朝を見るなり、「あなたは天下を治める人物である」と器量を認め、挙兵するときは智満寺に武運長久の祈願をするようにすすめたとされています。

そののち、頼朝は挙兵にあたり、文覚上人を伴って智満寺に向かいました。武運長久を祈願した後、杖にしていた杉の枝を地に挿し、「西天を望んで必ず再起せん」と心に誓いました。同時に、「この杖が芽を出して成長したならば、観世音のご加護により大願成就間違いなし」と念じたのです。

その後、頼朝が挿した杖が萌芽し、成長して立派な杉となったのです。頼朝は、望み通り天下を平定することができました。このことから、杉は「頼朝杉」と呼ばれるようになったのです。

頼朝杉頼朝杉
樹齢800年を全うした頼朝杉は、新たに生まれ変わります。
頼朝杉

2012年9月2日、頼朝杉は倒木しました。
樹齢800年以上を迎えていた頼朝杉は、その20年前から根元付近をはじめとして空洞化が進み、衰弱していました。

倒れないように太い枝を伐採するなどの対処はしていましたが、空洞だった根元が枝の重みに耐えきれず、頼朝杉はとうとう倒れてしまったのです。

頼朝杉

智満寺は、倒木してしまった頼朝杉を未来永劫のお守りとして、弥勒菩薩像の製作を決めました。そして、残りの材を意義のある工芸品として使用することになったのです。

頼朝杉は、千葉山や智満寺、武家政治の基礎を築いた源頼朝の関心を高めるために、違う形となってこれからも存在し続けます。

源頼朝

約680年にわたる武家政治を確立した、鎌倉幕府の征夷大将軍。

源頼朝と言えば、「鎌倉幕府を開いた人物」として有名です。
源頼朝は、平安時代末期において、諸国に守護と地頭を置いて力を強め、平氏や奥州藤原氏を倒した後、全国を平定しました。1192年に征夷大将軍に命じられると、独立した政権を持つ武家政治を確立し、鎌倉幕府を開きました(年数は諸説あり)。
この政治体制は江戸まで続いたことを考えると、源頼朝は大きな功績を残したと言えます。

源頼朝

源頼朝像(神護寺所蔵)

源頼朝年表
1147年(0歳)
尾張国にて源義朝の三男として生まれる
1159年(12歳)
平治の乱で平氏に敗北
1160年(13歳)
流刑となり、伊豆へ流される
1177年頃(30歳)
北条時政の長女・政子と結婚
1180年(33歳)
以仁王の令旨を受けて、平氏討伐へ
1185年(38歳)
壇ノ浦の戦いで、平氏滅亡
鎌倉幕府を開く(諸説あり)
1189年(42歳)
奥州合戦で、奥州藤原氏滅亡
1192年(45歳)
征夷大将軍に命じられる
1199年(満51歳)
一説によると落馬が原因で逝去

頼朝杉の旋律

二胡を使ったシンガーソングライター・里地帰様による、頼朝杉の楽曲のご紹介です。
里地帰様が演奏で使用する二胡は、頼朝杉で作られています。
頼朝杉を使った二胡で奏でられる、頼朝杉への想い。

柔らかい二胡の音色と優しい歌声は、多くの人を魅了しています。
里地帰様の詳細は、公式サイトをご覧ください。

里地帰(さとちき)
二胡の弾き語りシンガーソングライター
里地帰(さとちき)

里地帰 オフィシャルホームページ http://里地帰.jp/
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